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祭 神
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大 国 主 神 (福の神、縁結の神) |
| 事 代 主 神 (恵比寿神) |
| 宇迦之御魂神 (稲荷神) |
| 少 名 彦 神 (医薬の神) |
| 岩 永 姫 神 (長寿の神) |
| 菅 原 道 実 公 (学問の神) |
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| 幸福神社は、もと富高陣屋の鎮守稲荷と称した。 |
| 社伝によれば、江戸時代の安永五年(1776年) |
| 正月に京都・伏見の正一位稲荷五社大名神の |
| 御分霊を御祀りしたものとある。 |
| 富高陣屋は日向国の臼杵・児湯・那珂・宮崎・諸県 |
| の五郡に散在した江戸幕府の直轄地たる天領を |
| 統轄した役所で、日田代官所の出張所であった。 |
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| 時の代官、揖斐富治郎は陣屋の鬼門除けとしてこの神社を勧請したという。 |
| 富高陣屋の記録には「御陣屋鎮守稲荷神社毎年二月初午祭の日、臼杵郡之内塩見村、 |
| 平岩村に限り、臼太鼓と唱え百姓ども老人若きものの打ち込み十四、五人より二十人余り連れ、 |
| 腰にみのを当て笠をかぶり、前に太鼓をさげ又は鉦をたたき旗を持つもあり、稲荷社の前に |
| おいて老人のもの音頭に鉦太鼓の拍子を揃え、飛び廻り色々手振り所作振り珍しく五穀祭の |
| 奉納古風なり」と書いてある。 |
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| 明治元年に町内の天神社その他の社を |
| 合わせて合祀し幸福神社と称した。 |
| 稲荷は食物の神であり、農耕農作の神で |
| あるから幸とし、大国主命は福の神である |
| ところからこの名をつけたといわれる。 |
| 神社の境内には樹齢百十数年といわれ |
| る珍しい夫婦楠がそびえ、二百年祭を |
| 記念して新しい鳥居も奉納されている。 |
| 又、社殿には江戸時代末期の画家で |
| 明治初年より二十数年間、同社の神職を |
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| つとめた片岡米山翁の碑も建っている。 |
| 家業繁昌、夫婦円満、学業向上の霊験あらたかで新産都市日向市の発展と共にそのシンボル |
| としての神威の発揚は大いに期待されている。 |
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