五十猛神社に祭られる「ひょっとこ踊り」の面
 五十猛神社の大祭に欠かす事の出来ないもののひとつに、入厄を迎える人々のひょっとこ踊りがある。
厄年の行事は古くから行われ、その年齢については時代により地方によって様々な説がある。
これらの年は、大自然と祖先の何らかの力が、魂に働きかけをしているのではないかと考える。
厄年は災難を迎えるべき年として恐れる時期と云うよりも、色々な観点で人生の節目となるべき年代であり、
また、人生の転換期として最も大切な時期であろう。
永い伝統を持つ厄払いを迷信と疑うことなく、清く正しく
生き抜くための祖先の知恵であろう。信念を強固にして
生活の安らぎを求めることに努力したいものである。
 当神社では、入厄を迎える人々にひょっとこ踊りを
教えているが、これは、故人壱岐繁晴宮司に依って
厄年の人々に教えたのが始まりである。
彼は、日向市塩見にある栗尾神社の宮司を兼務され
ておられ、青年時代に橘公行先生から踊りを習ったと
云う。当時は、「橘踊り」とか「ピーヒョロ踊り」と云い、現在踊られているような姿ではなかったようだ。 
当神社の伝える踊りは、塩見神楽の師匠故人山田八五郎氏と先代の手で神楽からヒントを得て、キツネ、
オカメ、ひょっとこ ほうき踊りと神楽の物語風に構成されている。特にほうき踊りは、全てを清めるという動作
であり、手に一杯のチリは「人々の心の曇り」を清らかにするという表現であり、当神社の踊りの中でも特別な
意味があると考えてよい。囃子に合せて最初に飛び出すキツネは神様の使者であり、オカメの美しさに
魅かれながらも人生の道を違わないように手招きをして導いている。これも独特なものである。
オカメは二度目のキツネの手招きから踊りだす。それも恥ずかしながらである。
当神社の踊りは腰を振らないのが特徴であるが、
オカメに限り所々腰を「左右」にゆする。
これも独特の動作である。古来の日本女性の腰の
豊かさと美しさを表現しているのであると考える。
ひょっとこは、急に踊りだすオカメを止めに入るが、
自分も自然に踊りだしてしまう。顔の手前に差し出す
手は、自分自身を写し出す「鏡」であると伝えている。
これも重要な意味を持つ。そもそも鏡は、神社の
御鏡を表しているものであって、古来の日本人は鏡
を神聖なものとして今日に残しており、ヤタの鏡等はそれであろう。又、片方の手はまっすぐに伸ばすようにと
伝えている。これは、自分の人生の道を表す意味である。それに周りの人々も一緒になって踊っていく。
これは、祭の大切な意義を表しているのであり、当神社のひょっとこ踊りは、祭と人々の和を意味し、神聖な
踊りとして現在に伝えられている。
 当神社の伝える民話によると、昔、オカメと云う大変心の美しい女性が安産祈願に稲荷神社にヒョウ助と
呼ばれる男性と参拝に出かけるが、神様の使者キツネが、オカメの心の美しさに魅かれて手招きを始めると、
不思議な事にオカメは踊りだしてしまう。それに驚いたヒョウ助は、あわてて止めに入るが、
自分も踊りだしてしまう。境内に集まっていた村の人々
も一緒になって踊りだす。その事に気付いたキツネは
最後の一人に、ほうきを持たせて境内の掃除と共に
人々の心も清らかにしたと、伝えられている。